ワタシクリエイト 光畑由佳さん

ワタシクリエイト,

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ちょうど社会人になった頃だったと思います。
10年近く前、「子連れ出勤」の映像をニュースで見て、衝撃を受けた事を今でも鮮明に覚えています。
巡り巡って今、ワタシクリエイトをコンセプトに掲げアトリアを運営していくにあたり
あの時のあの映像が少なからず影響していたのであれば、今回の取材はこれもまた運命づけられていたご縁だとおもいたいのです。

PROFILE Mo-House代表/NPO法人子連れスタイル推進協会 代表理事 光畑由佳
倉敷出身。お茶の水女子大学被服学科を卒業後、(株)パルコでの美術企画、建築関係の編集者を経て、1997年の2人目の出産後、電車の中での授乳体験を機に、「産後の新しいライフスタイル」を提案するため授乳服の製作を開始。
「いいお産の日」(茨城、青山)の開催や自宅サロン等も通し、お産・おっぱいをサポートする「モーハウス」の活動を始める。ここで始めた「子連れ出勤」を、古くて新しいワークスタイルとして、青山ショップや百貨店でも実践中。女性、企業、学生に向けての講演も多数。 
2012年3月に本拠地つくばの事務所移転に併せて、子育てをする母親だけでなく、幅広い世代の女性、男性、様々な人が集い、つながり、新しいムーブメントが生み出す場としての「mo-baco」をオープンさせた。
子連れスタイルで子育てと社会を結びつけ、多様な生き方や育て方、働き方を提案する「子連れスタイル推進協会」や、母乳生活全般の研究活動を行う「快適母乳生活研究所」の立ち上げ、その代表を務める。三児の母。趣味はお産・おっぱい・建築。

光畑さんご自身のワタシクリエイトについてお話をうかがいました

Atlya (以下A): 授乳服のパイオニアというイメージの光畑さんご自身はやはり服飾の勉強をされていたのでしょうか?
光畑(以下M):いえ、服飾デザインというよりも、快適性や物理のほうで衣類の研究をしていました。

A:そして大学卒業後はどういった職種へ就職されたのでしょう?
M:パルコの美術企画している部署への配属でした。
そこでは、展覧会の企画の仕事をしていました、当時は終電で帰るような日々でしたから
当然、結婚はともかく出産した後は仕事は続けられないなぁと考えていました。
結婚を機に 東京を離れることになりました。
それでも、東京と連絡をとりながら仕事ができるように自宅でも続けることが可能な編集の仕事で
自分自身興味関心の高かった建築業界の編集の仕事をさせていただくようになりました。
東京へも月に何度か打ち合わせにくるような生活をしていましたね。

A:すでに今を想定されていたかのような結婚後の転職も戦略的なように感じられますが?
M:いえいえ、当時はその時その時で、目の前の課題を解決するという感じで
どうしたら自分のイメージに近い仕事ができるかをただ、考えていただけです。
でも今から思えば、こうして起業して仕事をすることに関して、学生時代のバイト先や、就職先で
学んだ事が多く、環境にも恵まれていたところはあると思います。

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A:いつ頃から授乳服のお仕事をされるようになったのでしょうか?
M:仕事は深夜に作業をしたりと、不規則な生活をしていたので、
妊娠中に体調を壊して入院し、仕事をやむをえずお休みする期間がありました。
ですが、自宅の建築物が話題になり、退院後すぐに、TV取材の対応におわれている中で、
自然と仕事復帰していきました。
授乳服を考えるきっかけは、移動中、電車内で授乳せざるを得ないという強烈な体験から
「もっと便利な道具があれば解決することじゃないかな?」と思ったのがきっかけです。

A:当初、ご自身で授乳服を作られたのでしょうか?
M:私はディレクションに徹しました。
当時はまだ縫製工場などが日本にもたくさんあり、ちょうど中国等へ製造を移行していっていく過渡期の時代で
閉鎖する工場が、つくば近辺にもあったんですね。
そういう工場で働いていた方などに出会い、協力してもらいながら授乳服を形にしていきました。

A:そこから順調にこれまでこられたのでしょうか?
M:いえいえ、当初は全く売れませんでしたよ。
なぜなら、今でも根深い話だとおもいますが、お母さんって自分の事は本当に後回し。
授乳のための洋服をあらたに購入することが「贅沢」だと考えていらっしゃいます。
店頭でも購入に背中を押してくれるお母様やご主人様がいて、ようやく「じゃあ買おうかしら」という感覚なんですよ。
女性は子育てがはじまると、自分のことには「諦め」が多くはたらきます、意識の問題は根深いです。だから当初はなかなか売れませんでした。

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A:それでも、ここまで広まっているということは,その後どういったところで販売し、PRなどされていかれたのですか?
M:自宅を開放してサロンを開いたり、実際に授乳している姿を見てもらう「授乳ショー」などイベントを行い、必要性を見て分かってもらうようにしました。産休中の産婦人科の先生にも出てもらったりしながら、共感してもらってじわりじわり口コミで広がり、マスコミにも取り上げられるようになりました。また、活動当初からカタログによる通販を始め、ホームページも翌年には開設していました。
周りのママがお手伝いをしてくださっていたので当然、子供をつれて仕事をしている環境になり、
それが子連れ出勤の始まりだったんです。
目の前の問題を解決していくために、その経験が知恵になった結果だと思っています。

A:子連れ出勤で仕事に集中できるのかな?と一番始めに疑問があったのですが。
そうですよね。でも、仕事を優先させるためにも子供を優先するんです。
A:え?
おっぱい(母乳)が欲しい時はお母さんもわかるもので、泣く前に、おっぱい(母乳)を与えるし、あやす。そうすると、子供も仕事場が居心地が良い場所と認識しはじめるんですよ。
実は子連れ出勤は合理的な働き方と言えると、見学にこられた皆様にもおっしゃっていただいています。

A:前例があまり無い、この子連れ出勤スタイル。光畑さんご自身の経験のアーカイブがコンサルティングのお仕事につながっていかれたのですね。
M:子連れ出勤を導入したい企業、団体様等に講演やコンサルティングのお仕事もさせていただいています。
また建築の方も今でも時折、専門学校で講師をさせていただいています。

mitsue006A:今後の活動にも大注目ですがお力を入れていらっしゃることは?
M:全部ですけれど、新しくNPO法人をたちあげましたね。子育てと社会が共存する環境「子連れスタイル」を提案する特定非営利活動法人です。
総理官邸のホームページにもモーハウスの授乳服が掲載されています。
これから女性の社会進出を支援できるよう活動を続けていきます!

A:私のように、仕事も、プライベ−トも諦めたくない女性に勇気をあたえてください!今日はありがとうございました!!

取材を終えて ある特定の女性にターゲットを絞ったお仕事が、今や、社会の問題解決にまで影響を与えている、モーハウス 光畑さん。合理的な子連れ出勤には目から鱗!これからの時代に、不可欠な女性の社会進出について、今後もアトリアへのご指導もしていただけると嬉しいな!

震災時に何も出来なかった私達にできることを求めて・・・ワタシクリエイト復興編

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震災時に何も出来なかった私達にできることを求めて・・・

震災時、自分たちの体力的な面も、精神的な面でも何のボランティアもできずじまいで、それが「罪悪感」に近い感覚になってしまっている女性って少なくないと思います。
アトリア事務局も自分達らしい、今だからこそ出来ることって何かないものか・・・といつも話していました。
そんな時、六本木ミッドタウンで出会った、マーマメイドの「漁網100%ミサンガ!
ミサンガは復興支援のためという枠を超えて、ファッションとしても単純に「かわいい」と思えるアイテムだったことに驚き、支援している「つむぎや」さん友廣 裕一さんと多田 知弥さんにお話をうかがおうとインタビューへ。

「つむぎや」さんのお仕事とは・・・

出会った人ベースで、人との関係性の中で自分達にしかできなことを、活用されていない資源を活かして仕事にしていくことが自分達の仕事・・・
そう答えてくれたお二人、それがつむぎやさん。
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「流れ」に身をゆだねるような関係性づくり仕事づくり・・・

大学のサークルの仲間だったお二人はwebメディアやフリーペーパーを作ったりする50人くらいが所属する団体を以前は運営していたが、現在は石巻のメンバーとで3人で活動されている。

「関わってく人が増えれば、やってみる、現地にきてもらって、関わってもらって合いそうだなぁと思えば進める」
そんな「流れ」に身をゆだねるような動きを取られている彼ら。

今を牽引するクリエイターたちや多くの人が心地よく巻き込まれるプロジェクトへ

石巻で彼らがサポートするのは「マーマメイド」の他に、「OCICA」というプロジェクトがあります。
牡鹿半島で鹿が多い土地ではありますが、昔のように食材や素材として使われていないことで増えすぎ山を荒らすなどで困っているという課題に直面。これらの問題解決を、お母さんたちによる手仕事ブランド「OCICA」という鹿の角と漁網の補修糸を使ったアクセサリーを作ることで行っている。

今を牽引するクリエイターである「NOSIGNER」の太刀川英輔さんがデザインを担当した鹿の角と漁網の補修糸をを用いたネックレス、ピアスの販路も広まっている。
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販売1号店となってくれた東向島珈琲さんで今回お話をうかがった。
マスターは、震災の時も珈琲時間を提供しに、お店の椅子を持ち込んで、ちゃんとドリップする珈琲を提供しに現地入りされたとか。
物資の協力はもちろんのこと、心の充実のためのマスターの活動はどれだけ皆さん救われた事だろうか。

第二フェーズへ移行するプロジェクトたち

ミサンガのお母さん達もまた、つむぎやの支援により、ミサンガが累計3,000本以上売れた。その彼女たちもすでに次のフェーズへ進展しており、ミサンガであつまった資金で
「ぼっぽら食堂」※方言である「ぼっぽら」には、急に・準備なしにという意味合いがある。
というお弁当屋さんを立ち上げ、お母さんの手作り弁当が反響を呼んでいる。
現在はミサンガ作りのメンバーとしては一人のお母さんが引き続き活動されているそう。

地域とのコミュニケーションデザインは相手が常に主導権を持つ・・・

震災を機に現地入りしたお二人は現地の事業者との交流も広まり、漁協と加工所をつくるという話も浮上しているという。

「震災後は特に、常にむこうに主導権をもってもらい 明確に期日等は設けず、コントロールしないことが大事だと考えています。
例え、「やめたい」という結末になっても受け入れられる 状況をお互い作っておく必要がありますからね。」

明日何をしたら良いの?と、なってしまわないように。。。
A:次回は、この「マーマメイド」「OCICA」に関わる他の人たちにバトンをつなぐべく、インタビューを続けたいです!石巻のお母さん達には絶対会いにいきます!

これを機に、9月に石巻へ向かいました。 アトリア主宰 井尾さわこ の旅はまたレポートします!

アトコレ女性作家の手仕事の魅力を活かし、より魅力的な商品として提供するためにアトリアのメンバーとともに見つめ、発信していくプロジェクト。私たちが日々出会っていく様々な女性作家さんの中で魅力的だったり頑張っていたり、そんなステキな女性をいろんな人に知ってもらいたい。更に、共に新しい商品を発信して新しい形を皆様にご提供します。

ワタシクリエイト 【渡辺佳恵さん】

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PROFILE 佳恵さんプロフィール
1969 年1 月19 日生まれの44 歳。
ファッションディレクターとして「エビちゃんもえちゃん」「めちゃモテ」などCanCam ブームを巻き起こす。
「Anecan」の前身となった「お姉さん系CanCam」を立ち上げたのち、独立。
商業施設や商品、書籍、TV番組、イベントなど女性をターゲットとした様々なコンテンツのプランニング・プロデュースを手掛ける。
またコメンテーターとしてTV 番組出演や講演会出演、コラム執筆など多方面で活躍中。
プライベートでは13 歳の女の子のママでもある。

CanCam「モテ」ブームの裏話…

A:私は学生時代アパレルのお店で店員さんをしてたんですが、そこにも頻繁にcancamの何ページのジャケットありますか?と問い合わせがありましたよ。そのくらい影響力って絶大だったモテカワブームのまさに仕掛人が佳恵さんだとおもうのですが、そのブームって何故作れたと思われますか?

Y:元々、一編集者の私に当時の編集長が「佳恵さん、本当にCAMCAMのコト好きだよね!その気持ちを大切に提案してもらえない?」と相談をうけました。その当時「モテカワ」なんてもっての他だった時代、でも本当は女性ってそういうことを考えて副選びしていると思っていたんですよ。

A:なるほど、佳恵さんは女の子の気持ちを代弁されたような形だったんですよね!?
Y:もともと編集者として仕事していた私にとって社員という考え方がなく、「仕事は自分でつくるもの」という考えがあります。でもこれって編集者だけでなく、どの仕事でもそのスタンスで仕事されていると良いと思います。打ち合わせもすっごく長くなるし、とことんこだわる人だけがメンバーとして残っていたと思います。

ママとしての働き方

Y:わりと融通のきく仕事だったので、子供を寝かせてからまた仕事をしたりもしていましたね。でも母親として他のママより同じ時間を過ごすことができないので、とっても悩んだ時期に、保育園の先生に泣きながら相談したことがあって、「一緒に過ごす時間の多さより、ちゃんと愛してることを伝えてあげてくださいね」と励まされ、そうか〜と自分らしい子育ての形で良いんだぁと割り切れるようになりました

A:そうなんですね、やっぱりお母さんの背中は子供もみているものなんでしょうか。両立したい、もしくは両立に悩むお母さん達に何かアドバイスありますか?
自営業、もしくはやりくり上手できる仕事でないと、子育てとの両立は正直難しいとは思いますが、一緒に過ごす時間は短くても、実際娘は自立もはやく
手がかからない子に成長してくれています
色んな人の手で育ててあげたほうが良いのかもしれませんね
偏差値じゃなく人間力 の時代だからこそ。。。

A:なるほどお子さんを産む前に例えフリーランスでなくても、子育てに理解をもらえるよう会社内での関係性を上手に築いておいたりすることが大切なんでしょうね

「自ブラ」をつくる秘訣は?

Y:はじめから得意なことや強みというものを理解できる人はいないとおもいます。時には「強み」というほどでなくても、「私の得意なことってなに?」とか簡単な応えやすい質問を投げてみて周りの声に耳を傾けて、アドバイスをもらうことも一つではないでしょうか?

A:たしかにそうですよね。応えやすい質問の仕方によっては、応えずらい内容かもしれないし、自分だけでなんとかつくりだそうとする、女性らしく、周りにゆだねることも時には必要かもしれません。
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自分を得意なポジションを見いだすことって重要!?
Y:私はCANCAMを辞める時こんなことができる人ということを形で表現するためにブログをスタートしたんですね。
「やるならオフィシャルで!」と考えていた私は、知り合いをたどって、アメーバさんのオフィシャルとしてブログを始めました。
見た目で判断されるからと編集部時代からお世話になっていた有名ヘアメイクさんとのやりとりで撮影!
情報発信でねたみ声もあったが、負けずに色々と日々 「やってる感」をブログで表現
美容のイメージもつき、お仕事も増えてきました
編集者であるキュレーションを活かせたのかもしれません
スペシャリストではなくゼネラリストと落ち着いているが、、、整理するのに時間はかかったしぶれた時代もあった
悩んだ時期もあった 編集長になっていたほうが良かった?とおもったこともあった。でも今は自分はこれで良かった!と思えています!

今後やりたいことってなんですか?
Y:今さわちゃんとも話しているんだけど、「好きを仕事に」を実践する人を増やしたいなぁと思っています。CAncAm時代は「選ばれる女性」というイメージ像の女性をたくさん描いていましたが、これからは時代も少しづつかわり「自ら選べる女性」を増やしたいとそう考えるようになりました。
まだ詳細は未定ですが、皆さんにもご報告しますね!

最後に・・・ つつみかくさず、赤裸裸に語ってくださった佳恵さんの姿勢や、経験談は、皆さんの背中を押す勇気になったようです。私自身、「仕事は自分で作るもの」「選ばれる女性から選べる女性へ」というフレーズが印象的で、ご自身がぶちあたってきた壁にいつも前向きにたちむかってこられたんだろうなぁという、ピュアさみたいなものすら感じる魅力的な女性だと心から思いました。女子心の師匠!そうさせて欲しいと思います!
井尾サワコ

ワタシクリエイト メディアプランナー 森川さゆりさん

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誰もが知っている数々のメディアの創刊に携わり、現在は独立され、メディアプランナーとして講演、企画等のお仕事をされています。『女性たちが毎日をhappyに送るお手伝い…これが次に目指しているところ。』とおっしゃる森川さんから 仕事人として生きながら女性としても煌めくポイントを伝授してもらえるかも!?
さて森川さんのこれまでにどんなストーリーが!?

PROFILE メディアプランナー 森川さゆり
結婚情報誌「ゼクシィ」編集長に就任後、「All About」編集長に就任。 現在、メディアプランナーとして活躍中。これまでの経験を活かし、旅行メディアや結婚メディアに関する執筆、メディアプランニングを行う。

Atlya (以下A): 子供の頃から文章を書く事等が好きだったりしたんでしょうか?
森川(以下M):いえ、理系というよりは文系かなぁという程度でしたね。

森川(以下M)大学生の頃はタイ語を専攻していたのでタイ関係の仕事に就きたいと思っていたのですが、就職活動をしていくうちになんとなく「自分には合わない?」と思うようになって、旅行やIT系の会社を関係を回るようになりました。当時はまだ大卒女子の就職は厳しい時代だったので、いろいろ悩みました。でもそんなある日、「日曜に会社説明会があるからこない?」とまったく考えてもいなかった会社の人事部の方から電話がかかってきたんですよ。「他の企業は休日にやらないから空いてるでしょ?」と。それがリクルートだったんです。きっと採用目標人数が達成していなかったんでしょうね(笑)。今思えば。当時リクルートは1000人近い新卒を採用していた時期だったので。ただ、時代で言えば「女子大生ブーム」で、情報収集能力が高い女性の活躍に社会の期待が集まっている時でした。
でも私自身は、学生の頃は地味でしたよ(笑)。きちんと大学に行って、家庭教師のバイトをして…一応、真面目な学生でした。特に編集という仕事に強くあこがれていたわけでもなかったので、情報感度もあまり高い方ではなかったかもしれません。

Atlya (以下A)意外ですね〜。もともと編集を目指されていたのかと思っていました。

森川(以下M)どちらかと言うと、まだ自分の可能性を自分でもよくわかっていないうちに、私はこうなる!と決めることができなかったんだと思います。逆に自分の知らない良さを引き出してくれるような会社がよかったのかもしれません。だからあまりキャリア志向もなくて…。リクルートの面接官から「もし、お茶いれてって頼まれたらどうする?」という質問をされた時に、「お茶をいれることにまったく抵抗はありません。逆に男性に入れてもらうのは気が引けるから自分で入れたほうがいいです」と答えたんですよね、確か。それが合格に影響したかどうかはわからないけど(笑)。

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入社後はどういった部署に配属になったんですか?
営業配属の同期が多い中、編集部に配属になり、「AB-road」の担当になり、そこで編集の基本を学びました。
「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」
というリクルートの社訓が書かれたプレートを配られてデスクにおいているんですが、そのおかげで入社直後から「会社が仕事を与えてくれるわけではない」という精神が根付いていましたね。しかも入社してから一度も「男女」を意識した事はなかったですね。評価もお給料面も平等だったし。
そういう時代を先取りしていたから、強い会社に更に大きく発展されたのでしょうかね?
そうだと思いますね。

その後「じゃらん」の創刊にたずさわったということですが…
会社に泊まり込みの数カ月を過ごして、創刊しました。まだ20代後半で仕事が楽しくて仕方がない時期だったこともあり、よく働きましたね。じゃらんはホテルとの接点が多いので、その中でブライダルフェアを取材するうちにゼクシィの創刊へと続いて行きます。
ゼクシィ創刊準備をしている頃は、毎日、結婚とは何か?とか愛とは?みたいな話ばかりしていましたよ(笑)。
当時ブライダルの情報誌はない、ハウスウエディングなんてもちろんない、やっとレストランウェディングが出始めた頃ですからね。ホテルや式場の方からは、「ブライダルプランなんて年にせいぜい2回ぐらいしか作らないし、読者にとっても結婚は一生に1回だし、月刊誌としては成り立たない」という反対の声がたくさんでしたよ。 でも日々結婚する人はいるわけだし、女性の目から見れば知りたいことは山ほどある。当時はまだ結婚式の料金に不明瞭なところや説明不足な点もあったので、それをわかりやすく読者に伝えたいと思いました。それで、各式場のプランを全て同じフォーマットにして、料金を比較検討できるようにしたんです。クライアントからは嫌がれましたけどね(笑)。でも消費者の目線にたってモノ創りをしていただけなんです。

ゼクシィは、1ヶ月に1回発行されるので、人気のプラン、そうでないプランと、状況がすぐにわかります。それで式場側もカップルが望む結婚式とは何かを色々試行錯誤するようになり、今のオリジナルの結婚式の形になっていったんだと思います。
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ゼクシィが今のオリジナル性の高い結婚式の形をつくっていったと言っても過言じゃないですね!
今じゃ1000ページ超えてますけど、基本的な内容は当時と同じですね。カップルの数だけ色々な結婚式があってもいいんだという…。

ゼクシィも軌道にのり、少しほっこりしていた時、元上司からAll Aboutの立ち上げをするから、ガイドになってくれる専門家を紹介して欲しいと言われたのがAll Aboutに携わるきっかけでした。ちょうど新しい事をやりたいと思っていた時期で。でも150人のガイドを見つけるのは大変でした、インターネットはまだこれから…という時代でしたが、各専門家の方はWEBへの注目も早くHPをもたれていましたのでHPで探したり、公募したり、スカウトして集まっていただきました。

今や、何か調べものをしてみるとAll Aboutが教えてくれるって感じですよね!
多くのコンテンツを作られる事は大変だったと思いますが?
そうですね、でも、数百人のガイドが日々生み出すコンテンツが次第に蓄積されて行き、All Aboutの財産になりました。インターネットも結局は人間力なんでしょうか。
テーマ別に構成したガイドサイト以外にも、ターゲット切りしたWEBマガジンをそのあとに立ち上げて行きました。
「forM」「forF」とか。実はメディアプランナーとしてコンサルティングするときにもよくお話するのですが、ターゲッティングってメディア作りには一番重要なことなのです。ターゲットを狭めることを嫌がるケースは多いのですが、欲ばって広く色々な人に読んでもらおうと思えば思うほど、メッセージはぼやけて行きますから。
各専門分野の人もそうですが、編集にかかわるデザイナーや、カメラマン、クリエイターさんたちを、編集長の思いの通りにディレクションしていくことって難しいですよね?
そうですね。まずはブレーンの方々との信頼関係が大事ですよね。かっこいい、センスが良いだけでも駄目ですからね。目的を共有して、同じ方向に向けて進まなければ良いクリエイティブは生まれませんから。クリエイターさんが作った物に駄目だしするときは、やっぱり今でも難しいですよ。駄目出しされると否定されたように思うかもしれませんが、決してそうではなく、良いものを作りたいだけなので、クリエイターさんにも駄目出しがでた時こそチャンス!と思ってもらえたら嬉しいですね。クライアントや案件が少し難易度が高いぐらいのほうが自分が成長するとありがたく思うぐらいの気持ちでいることが大事です。クリエイターには刺激が必要ですから。自分の作品とだけ向き合うのではなく、広い世界をみることでどんどん感性を刺激したほうがいいですよね。
おっしゃるように、人と関わったり、評価してもらう事で作品であっても仕事であってもブラッシュアップされると思います。
今はわたしもフリーになり、メディアプランナーやメディアコンサルをしていますが、仕事の種類やジャンルを固めずに、数年やってみたいと考えています。

ここまでもず〜っと走り続けて来られたと思うのですが、ご主人様との間で夜遊びカレンダーを付けているそうですね★
元々、私、門限があったんですよ。ぼろぼろになるまで働きたいの?と主人に言われ、体調を心配した彼が門限を作ったんです。罰金制だったからけっこう辛かったんですよ!
で、会社を退職してからは夜出かけるときはカレンダーに書いておくという事前申告制になったわけです。
かわいいですね!ご主人様の愛が感じられますね
すごい勢いで、門限ギリギリまで働いてましたからね。門限がなかったら歯止めが利かなかったかもしれません。フリーになってからはここぞとばかりにおけいこごとを初めて、お花、ピアノ、ゴルフ…勤めていた時にはやっぱり出来なかったですからね、我慢していたわけではなかったけれど、なかなか余裕がなくて。でも、本当は時間はあるんですよね。私が感銘を受けた本に「80対20の法則」という本があります。大事なことは実は2割だけ…というような内容なのですが、働き方を見直すいいきっかけになりました。特に、働く女性は、30代になると婦人科系の病気にかかる人がわたしの周りにも多いので気をつけて欲しいですね。クリエイターという仕事の人はどうしても無理をしがち。でも、いつかどこかに無理は出てくるものなので。
そうですね。
そのメッセージはアトリアを見ていただいた方にきちんと伝えたいですね…
今日は本当にありがとうございました。

取材を終えて 小柄でかわいい大人の女性 森川さん。
クリエイターが駄目出しされた時、いかに前向きにとらえることが大切か、あらためて考えさせられました。また、多忙な中でも、「女性としてぼろぼろになってまで仕事はしてはいけないよ」っていう大切な心がけのメッセージをいただきました。働く女性と生活をしてきたご主人様のエピソードから,深い夫婦愛もうかがえてとっても幸せな気持ちになりました。家族の支えなくては女性クリエイターは勤まらないのかもしれません。しかし(年下の私が言うのは失礼かもしれませんが)かわいかった〜★